おめでとうと言えてただろうか。

結婚した。

けど、実感がわかない。

 

とにかく自分の口から報告しなければ、

披露宴に呼びたい人には言わなければ、

と、ありとあらゆる人に連絡しまくって

色んなお祝いの言葉をいただいてるけど

やっぱり実感がわかない。

 

そして、私は誰かから結婚すると聞いたとき、

おめでとう、と言っていただろうか。

正直、正直、ここ1年以外は、

人の幸せに対して心から喜べていなかったから、

おめでとうと言っていても、いなくても、

意味合いはあまり変わっていなかったかもしれない。

結婚=めでたいこと の数式も組めていなかった。

おお〜とかなんかそんなことしか言ってなかったかも。

だから今、こうしておめでとうと言われる側になると、

私はそんな言葉をかけてもらえるほど

誰かに祝福の言葉を渡せていたのだろうか、と

申し訳ない気持ちの方が勝ってしまう。

心からのおめでとうを心からのありがとうで

受け止められない。

逆に、おめでとうと言ってもらえないと、

そんな祝福されるようなことじゃないんだやっぱり、言わなきゃ良かったかな

みたいな気持ちになって、でも自分は言えなかったじゃない、

それを求めるのはおかしいじゃない、と言い聞かせることになってしまう。

自分が人にやってきたこと、やってこなかったことは

ずっと自分について回る。

 

言葉って、単純に受け止めればいいのに、

なぜか裏を読もうとしちゃったり、

真正面から受け止められなかったり、

同じ熱量を、気遣いを感じられなかったら

嫌な気持ちになってしまったり

気持ちと言葉はイコールでないことを知っているから

ずっとそんなことをやってきてしまったから

なんでこんなみじめなのだろうと。

 

結婚や結婚式で友人をなくす。

もしかしたらそれって必然なのかも。

私は私の結婚で、誰かの過去の結婚で、

誰かを必ず嫌な気持ちにさせている。

エゴをなるべく排除して、気を遣ってるつもりだけど

きっと全然できていないし、過去の過ちは消せない。

 

私ってやなやつ。

再確認。

 

でもどん底でも、1人じゃない。

夫がいる。家にいれば帰ってくる人がいる。

それって幸せ。

だから結婚っておめでたいことなんだってわかった。

幸せになれるね、よかったね、きっともう1人じゃないね、

そういう意味のおめでとうだね。

これからは絶対に心から言える。伝えることができる。

それってずるいけど。

自分が幸せじゃないと人を幸せにすることなんてできないんだよね。

愛情って幸せからしかうまれないから。

これから何年かかっても、返していければいいのかな。

ごめんねとありがとうを

そして新しい幸せにはおめでとうを言おう